「読む」ことの重要性

こんばんは(*‘ω‘ *)西ノ内です。
本日はタイトルにあるように「読む」ことの重要性についてお話させて頂こうと思います。

写真は中2生の英語と国語の教科書です。

今、こういう教科書が「読めない」人が増加しています。
「読む」ですよ。内容を理解する、とか問題を解く、ではありません。

 

読めないんです。

 

英語は、ネイティブの発音や発音記号通りに読めとは言っていません。カタカナ読みでもいいんです。国語は、漢字が読めないを始め、ひらがなカタカナ表記でもまともに読めていません。

 

国語(日本語)も英語も共に「言語」です。
読めなければ理解することなんか無理ですし、ましてそれが問題になっていれば「解く」なんてことができるはずがありません。

現にこれら2科目以外の科目でも、問題文が読めていない(またはきちんと読んでいない)せいで、正解が導き出せない例はたくさん生じています。

 

では、何故読めないのでしょう?

それは、日頃から文章読むことをしていないからです。

いくら日本語とは言え、我々日本人も文章を声に出して読む練習をしないと読むのは不可能です。
英語ならなおさらです。

どちらの科目も「入試」にありますよね?読めないまま試験に挑むと、解ける問題は記号の問題しかないと思います。

そして、文章を読む練習は小学校から(または就学前)行わないと中学生では間に合わなくなる可能性があります。
私が小学生の時は、学校の宿題で毎日の音読(当時は朗読と言われていました)があり、毎日母親に聞いてもらって、カードにサインしてもらいましたけどねぇ。
当塾では、小学生は上記と同じことを宿題にしています。

私も小学生の国語授業では説明時に文章を読みますし、英語に至っては中学生と共に英文を読みます。
読み続けていれば、知らない言葉もなんとなく「こんな感じかな?」とわかることもあります。

国語が苦手、英語が苦手、という人は「読めない」のが一番の原因です。

まずは、声を出して読んでみましょう。読めない言葉があったらわかる人に聞いて読み仮名をふりましょう。
暗記するほど(は大袈裟ですが)読めば、半年後には別の世界が見えるようになってると思いますよ(*‘ω‘ *)